8月2日の日曜日にホテル東京グリーンパレスで農口杜氏のお話を聞ける会がありましたので、参加して来ました。この会はフルネットの中野繁さんが企画されたものです。
講演は山本洋子さんと中野繁さんの司会で行われ、前半が山本洋子さん、後半を中野繁さんから農口さんに質問をする形式で行われました。
講演内容は非常に内容の濃いものでしたが、農口さんの気合いが入りすぎて、ときどきマイクから離れてお話しされるのと、独特の能登弁が混じるので、完全には聴き取ることはできませんでしたが、自分なりに簡潔に整理してみました。間違っていることもあると思いますが、お許しください。
講演内容を理解するためにも、農口杜氏(農口尚彦)の略歴を最初にお示しします。
・ 1932年(昭和7年)石川県の現在の能登町の杜氏の家に生まれる
・ 1949年(昭和24年)16歳の時に静岡県の蔵で修行を始める
・ 1961年(昭和36年)28歳で菊姫の杜氏となる
・ 1997年(平成9年)に65歳で定年退職する
・ 1998年(平成10年)66歳で鹿野酒造(常きげん)の杜氏となる
・ 2006年(平成18年)に現代名工に認定され、2年後に黄綬褒章を受章する
・ 2012年(平成24年)80歳で鹿野酒造を退社する
・ 2013年(平成15年)81歳で農口酒造本家の杜氏となる
・ 2015年(平成27年)農口酒造本家を退社する
農口さんのことを語る前に、能登杜氏四天王について少し説明します。
能登四天王とは能登杜氏の中で技術の卓越した4人の方示すもので、具体的には以下の4人です。いずれの方も蔵の名杜氏として活躍されてきた人です。
・ 農口酒造の 農口尚彦(のうぐち なおひこ)
・ 満寿泉の 三盃幸一(さんぱい こういち)
・ 天狗舞の 中三郎(なか さぶろう)
・ 開運の 波瀬正吉(はせ しょうきち)
その中でも農口さんは最長齢ではありませんが、色々な形で他の3人を指導してきた経験があります。波瀬さんは農口さんとは小学校の同級生ですが。杜氏になった後、山廃の吟醸つくりを教えたことがあるそうです。三盃さんは4~5歳くらい年上だそうですが、やはり吟醸つくりを教えたことがあるそうです。中さんも農口さんがお世話し天狗舞に入ったという経緯があり、四天王の中では農口さんが一番実力のある杜氏と言えると思います。実際、自醸清酒鑑評会では8回も主席を取った実績があり、4人の中では最も数が多いのです。
講演の中身を理解するために農口さんが定年後あたらしい蔵で杜氏になったいきさつを書いておきます。
農口尚彦さんが定年を迎えて菊姫を退職された時に、鹿野酒造の社長の鹿野頼宣さんが農口杜氏の定年引退を惜しんで、技術には定年がないと説得されて鹿野酒造の杜氏として招き入れたことは大変有名なお話です。そして鹿野酒造の杜氏として14年を務めるのですが、80歳になったのを機会に鹿野酒造を定退職されます。
その後は奥様と温泉巡りをするなど、ゆったりとするつもりだったようですが、酒を造らないと冬を過ごして、また杜氏の血が騒いできた時に、30年以上も親交のある元すし職人の渡辺忠さんに日本一のお酒をつくろうとお誘いがあり、酒造りを再開したそうです。場所は石川県能美市で休業中の蔵を取得し、改修まで行なった蔵を使用し、渡邉さんが社長で、、農口さんが杜氏で、蔵の名前は農口酒造としたようです。
それでは講演会の内容を簡単に紹介します。
<山田錦についてどう思われますか>
酛つくりをきちっとやるためには糖分を早く出して早湧きをしない良い酛をつくることが必要ですが、山田錦は分解が早く一番酛つくりに適した米だそうです。酛つくりには山田錦を超える米は見つからなかったほどです。500万石でも酛つくりはできますが、気をつけていないよ早湧きを起こしやすいそうです。
<毎年できの違うお米の対応の仕方はどうされていますか>
でも米の出来は毎年違うので、水の吸い具合や麹菌の食い込みやすさを素早く判断する必要があるので、最初に3通りくらいのやり方をやってみて、そのデータから判断するそうです。
今の世はお酒の飲み手が多様化して、色々な好みのお酒を求めるようになってきていますので、お客様はラベルを見て判断されているようです。ですから、ラベルが同じなら同じ味を出すようにしなければならないので、同じ味になるようにお米の処理も変えていく必要があります。この元になるデータは昔からやった作業と結果を全て数値化して記録たもののようです。
<酵母のあり方はどうですか>
現在は色々な酵母が出回っていますし、素性はわかるようになっています。また酵母が作り出す香りはガスクロで、酸は液クロで分析できます。全国鑑評会ではカプロン酸エチルの香りが好まれているようですが、カプロン酸エチルの香りはは華やかですが、香りが鼻につき、舌に残る軽くない香りです。金沢酵母が出す酢酸イソアミルは本当は喜ばれる香りだと思う。本来、市場の受け入れられる香りと味との調和が大切なので、品評会の基準も市場のニーズに合わせた形に代わってきてもらいたいと思う。
<売れるお酒の酒造りの極意は何処にありますか>
新潟の淡麗辛口の造りは東京の人に人気がある酒造りをしたので、商売が上手だと思うが、今では色々なお酒が出回っていて、呑み手が選ぶ際に決め手がないと思う。昔は灘の生一本が酒の味を引っ張っていたと思うが、今はそれなない。今大手の蔵が全体を引っ張っていないのは問題だと思う。
今必要なのは造る側がどんなお酒をつくろうとしているかだと思う。
<最近注目されつつある生酛つくりについてどう思うか>
後世に伝えたい酒つくりに生酛つくりがあり、しっかり伝えていきたいと思っています。昭和4年に速醸方が開発され、ほとんどの蔵がそちらに行ったけれども、今再び、生酛や山廃が見直されて増え始めているのはよいことだと思う。でもまだ心配があるそうです。それはうまくやって頑張っているj蔵と、うまくいっていない蔵があることですが、造り方により全然違う味になる難しさがあるので、今後も自分の技術を伝えていきたいと考えているそうです。
<杜氏になるための素質は何でしょうか>
鹿野酒造で7人の杜氏を育て、淡路島にいる都美人の山内杜氏や和歌山の日本城の藤田晶子杜氏など、今は色々なところで頑張っています。杜氏になるための素質は意欲だと思う。育てるのではなく、自ら育つのです。菊姫時代に大卒の蔵人を10人ほど採用したことがありますが、皆肝心なところで逃げてしまうのです。それでは育ちません。
<82歳でもナイスバディとその気力はどこから湧くのですか>
菊姫時代は7000石を一人でまかなっていたので、大変でした。どんな問題が起きても即座にこたえられるほどに鍛えられたことが原点になっているのでしょう。鹿野酒造では14年間杜氏を務めましたが、その間経営者も変わり、経営者としてのあり方も勉強させていただきました。そのポイントはお客様あってのお酒つくりで、それを経営者として大事にしていくことが大切だとおもう。
<この度農口酒造を引退されることにしたのはどうしてか>
社長と経営に対する考え方が違ったので、一緒に仕事をすることができないので、引退することにした。私は一人でも多くの人に飲んでもらい考え方であり、この点に違いが出た。
<酒つくりで知っておくべきことはなんでしょうか>
酒造りの理論は原点ですから大切ですが、お客様がどんなお酒を求めているか、それに対してどんな酒をつくりたいかがもっと大切なことです。そのためにはどのように作るかを試行錯誤で勉強していくべきだと思う。
<引退後の酒造りのかかわり合いについて>
杜氏は基本的に孤独なものです。自分だけでは解決できないことがあるので、お互いに交流があることが望ましい。自分の持っている技術は開示していくつもりである。
<米は磨けば磨くほど旨くなるというのは本当ですか>
お米は磨けば磨くほどうまくなることはない。50%が限度でそれ以上磨くのは品評会用を考えているからである。しかも磨けば磨くほどコストは高くなるので、うまい酒をいかに安く提供するかということには反すると思う。
<廃業する蔵が多いのは蔵人・杜氏がいないせいだというのは本当か>
蔵の生産高が500石以下だと福利厚生をすることはできないので、家族単位でやるしかない。ですから、小さい蔵で蔵人を確保するのは難しいと思う。
<最近純米酒が伸びているようの思えますが、いかがですか>
酒をつくったばかりのお酒の場合は純米酒の方がうまいと感じるのはわかるけれど、寝かせた場合は重くなる傾向があるが、アル添酒は旨くてきれがある酒になることが多いので、必ずしも純米酒の方が良いというわけではないと思う。
<杜氏制度の将来はどうなると思うか>
杜氏のベースとなっている農業の機械化が進み、状況が変わってきて若い人がいなくなって年寄りが増えてきているので、杜氏制度を維持するのが難しくなっている。ですから杜氏制度を見直す必要が出ていると思う。
<女性杜氏についてはどう思うか>
昔は酒つくりは重いものを扱うので男性出なくては難しいと言われていたが、今は機械化が進んでいるので、10kgを運べれば全く問題なくなってきている。やる気さえあれば女性でも十分である。
以上で農口さんの講演内容の紹介は終わりますが、総じて僕が感じたことは以下の通りです。
・ 酒造りには研究熱心で今までやったことを数値的にまとめて記録する勉強家である
・ お楽様第一を考え、どんな味が求められているかを絶えず勉強している
・ 自分の造りたい酒の味の方向性をきちっと持っていて世の中に迎合しない
・ 自分の技術は全て公開し、人を育てることに心を配っている
これからは第一線は引退することになりますが、まだまだ勉強を続けていただき、是非酒造りの技術伝承について活躍されることを願っています。
最後に僕と農口さんとのツーショット(山本洋子撮影)をお見せします。農口さんはお若いて、恰幅がいいですね。農口さんの血液型はB型だそうで、僕とおなじですので、嬉しいですね。←ご覧になったら、この日本酒マークをクリックしてください。携帯やスマートフォーンでご覧の方はMobileModeではクリックしても、点数は増えませんので、PC-Modeでご覧になってクリックしてください。よろしくお願いします。