今回の日本酒セミナーはフルネットの中野社長が企画したセミナーで、日本で注目される5つの蔵の社長が約一人1時間15分で講演するというとてもユニークな企画です。僕はこの企画を聞いた時、2万円という高額な講演でしたが、こんな貴重なセミナーを外すことはできないと、イの一番に申し込みました。貴重な講演なので、内容はまとめて記録に残したいと思っていました。しかし、講演を録音してはいけないと聞き、ちょっとがっかりしたのですが、写真はOKということなので、殆どの写真を取りましたので、それを頼りに要旨をまとめてみることにしました。もちろん講演の要旨を書くことについては中野社長の了解は取ってあります。
則吉さんは永井酒造の次男坊に生まれ、親の意向で自由に生きてきて良いと言われ、大好きだった建築を勉強するために東海大学の建築学科に入学しました。そして外国の建築を勉強するために大学3年の時2カ月ほど、ヨーロッパ諸国を旅をしたのが酒つくりをやる切っ掛けになったようです。酒造りは五感(ART)と技(Technology)であり、建築と相通じるものを感じたそうです。
ヨーロッパの地方へ行くと必ずワインナリーがあり、ワイナリーが中心に町を形成していることを知って、生まれ故郷の川場村にある自分の蔵もそんな蔵にできるのではないかと思い直したそうです。それから親を説得して卒業したら蔵で働くことを決めたそうです。でも当時は借金だらけの危機的状態だったそうです。
もうひとつの大きなきっかけは卒業の時(22歳)にロマネコンティのモンラッシュという高級ワインをもらって飲んでその奥深さにショックを受けたことと25歳の時にワイン醸造家のジャンミッシェルにお会いした時にワインつくりのお話を聞いてその姿勢に完全に負けた思いがしたことだそうです。
その後、世界に通じるいい酒を造ることを会社がつぶれない範囲で努力することを始めたそうですが、29歳の時にある方から酒造りについて3つの質問をされて応えられなかったことでショックを受けました。そこで気付いたのが、酒造りに必要なことは「ビジョンと哲学を持つ」ことだと感じたそうです。そして出した結論は「大自然を愛し、自然美を表現する綺麗な酒を造る」でした。
その翌年から新しい発泡酒のMIZUBASHO-PUREの開発を開始し、5年後の2008年にその完成を見るのですが、それには大変な苦労があったそうです。その間シャンパニュー地方に研修に行きましたが、そのまま技術導入できないことが多く、様々なトライアンドエラーを繰り返してやっと完成したそうです。
その開発した技術の主な点を上げると以下のようになります。
・ 瓶内2次発酵でガスボリュウムを安定させる
・ 濁り酒とクリアな酒の調合比の決定(味わいを整える)
・ 澱の量を減らして動瓶しながら澱引きする
・ 発泡酒の火入れのタイミングと経過温度
この中で大変だったのは旨味甘みと酸味の和ランスを探すのに濁り酒とクリアなお酒との調合比率を700通りも試験をしたのと、凍らせない方法で澱引きするところだったらしいです。
次に力を入れたのがブランドの再構築で、具体的にはお料理とのペアリングを考え、それに合わせたお酒を造るという永井スタイルが2014年に完成したそうです。それを下記に示します。
・ SPARKLING SAKE (乾杯の酒 MIZUBASYO-PURE)
・ STILL SAKE (吟醸酒から純米大吟醸)
・ VINTAGE SAKE (10年以上熟成酒、古酒ではない)
・ DESSERT SAKE (貴醸酒をベースとした食後酒)
今新しく目指しているのは東京オリンピックでのオフィシャル乾杯酒へのチャレンジだそうです。そのために誰でも品質が安定したスパークリング酒を造れるように一般社団法人「AWA酒協会」を今年の4月に設立する予定だそうです。ここではシャンパン協会と同じように協会が認定するスパークリング酒の基準を決めるそうです。この協会に入れば協会蔵元で勉強会を開き、情報を共有していくと共に契約すれば特許の使用を認めていくそうです。(でも5月現在検索してもホームページが見つかりませんので、遅れているのかもしれません)
この認定基準の下記に示します。
・ 米と米麹と水のみを使った清酒である
・ 国産米100%使用で3等級以上である
・ 醸造中の自然発酵による炭酸ガスを保有する
・ 外観は透明であり、容器の注いだ時に一筋泡を生じる
・ アルコール濃度は9度以上である
・ ガス圧は20℃で3.5バール以上である
結構厳しい基準ですが、僕がちょっと驚いたのは品質基準が常温で3カ月以上香味、品質が安定しているこということでした。炭酸が多く、かつ火入れしているからできることなのでしょうね。
最後に酒蔵の役割は「地域の自然・文化・歴史・人の営みを凝縮させて伝えて行く」ということで、これに携われたことに大変感謝しているとのことでした。
2.2番目の講演は新政の佐藤祐輔さんです。
新政は6号酵母発祥の蔵として有名ですが、昭和の初めは日本でもトップクラスの技術を持った蔵で、全国新酒鑑評会で総合1位を取るほどでした。戦争がはじまると他蔵との合併をさせられ勢いもなくなりましたが、戦後昭和27年に新政が復活したようです。その後、地元のお酒造りを中心に発展し、祐輔さんが子供の頃は蔵のおぼっちゃまと言われるくらい商売が繁盛し安定な酒造りをしていたそうです。
その後、日本酒の級別制度の廃止や大店法の廃止を機会に、普通酒の安売りが始まると同時に過当競争から質も悪くなり、飲む人の数も減り、蔵の経営は悪くなる一方で、体力のない蔵が次々とつぶれていく時代を迎えることになります。新政酒造の経営も同様に年々6-8%生産高が減少し、平成18年には経常収支はー20%の赤字になったそうです。
祐輔さんは秋田の高校を卒業された後、明治大学の商学部を経て東京大学の文学部に入学され、1999年に卒業されます。その後ジャーナリストの仕事をした後、2007年に蔵に戻ることになるのですが、経営の立て直しが急務だったそうです。その後次々と蔵の改革を進めていきますが、ざっと彼がやったことをまとめてみなすと次のようになります。
・ 2007年 季節労働者制度廃止(社員醸造)
・ 2008年 社員杜氏
・ 2009年 製造部設立
・ 2010年 6号酵母のみの醸造
・ 2011年 秋田県産のみの醸造
・ 2012年 純米酒のみの醸造 オール山廃の実施
・ 2013年 木桶の導入 4合瓶主体の販売
・ 2014年 26BYの後半から生酛造り開始
・ 2015年 オール生酛の醸造
これを見ると、経営改革というよりは信念を持って何かに舞い進んでいる気がしますね。これは何でしょうね。確かに最初の3年は組織をいじっていますが、うがった見方をすれば、自分の考え方を社員に理解してもらう期間ではなかったかと思われます。その間に自分自身は色々な勉強をし、実験をして新しい進む方向を模索をしていたのではないかと思われます。でもその原点は何だったのでしょうか。それは彼の最後の締めの言葉で判りました。
それは「自然への回帰」です。自然な原料(無農薬)、自然な製法(限りなく無添加)、自然な環境(手作業尊重、適した自然環境)、自然エネルギー(省エネルギー廃棄物減少)を最初から目指していたものと思われます。蔵に入ってすぐそんなことを言ったら大変なことになったと思いますが、勉強、努力、実践で実績を詰め上げていって達成したことが凄いなと思いました。そう考えれば彼の行動が理解できます。
この裏付けとして全量生酛に至った流れをご紹介します。まず、彼は乳酸を添加する速醸法やアルコール添加は自然な方法ではないと思ったのだと思います。酒の味は大切であることは十分判っているし、アル添の良さはわかっているけど、彼の信念として自然な方法を模索したのだと思います。
まず昔の酒の醸造法を調べ、それを試すことを行いました。昔からの酒の醸造法の発展は室町時代までは中国の技術の導入でしたが、江戸時代にできた生酛は日本独自の高度な技術であることがわかりこの再現から始めたようです。色々とトライした結果、下記の手順で安定した生酛つくりができるようになったそうです。
・ 炊きたての米は木桶に入れて一晩水分を保ったまま冷やす
・ 冷やした米と麹と水を入れたものを手で混ぜる
・ これを櫂で米をつぶさないように麹だけをつぶす(難しい)
・ この酛摺り法の代わりに古式生酛タイプを採用する
・ この後暖気だるで温めて乳酸菌をふやす
・ 乳酸菌が増えて酸っぱくなったら酵母を入れる
この中で凄いと思ったのは古式生酛法を現代技術で再構築して実現したことです。ポリエチレンの袋に米と麹と水を入れて米を溶かす技です。この方法は江戸時代に酛摺りができる前に行われた方法ですが、当時はこんな良い袋はなかったので、安定性が出なかったものと思われます。
こうやって新政流生酛つくりが完成しましたが、その前に色々と新しいことにチャレンジしています。これをちょっと紹介します。
蔵に戻ってきた当時、乳酸を入れない方法を色々試した結果、酒母は酸っぱくならないと腐ることがわかったけど、安定した造りができなかったそうです。そこで思いついたのが、焼酎の白麹を使えば酸っぱい酒母ができるのではないかとやってみたら上手くいったそうです。
その後すべての造りを山廃にすることをチャレンジしたけど、酸は増えても雑菌が死滅しないことが起こることを経験したそうです。そこで思いついたのが、酸が増えたところで酒母の温度を一的に上げて雑菌を死滅させる2段式山廃法でした。江戸時代に行われた煮酛という方法の現代版だそうです。この方法で安定した山廃ができるようになったので2012年から一時オール山廃にしたそうですが、最近前述した古式生酛法ができたので、今ではすべて生酛にしているそうです。
過去の教えを勉強すると同時に新しいアイデアにもチャレンジしている祐輔さんの姿が読み取れますね。
古式生酛法の完成はできたものの、祐輔さんの思いはまだ終わっていないそうで、これからチャレンジしていくことについて最後に紹介します。
・ 無農薬有機栽培の原料米の増加
・ 酵母無添加の生酛つくり(6号酵母を添加しない)
・ 自社田の確保と農業の展開
・ 自社田の近くに本社を移し、農業に活気を与える
具体的には蔵の近くの「鵜養地区」に自社田を造り、農業の活性化を図るのが夢だそうです。
彼の心に中に自然回帰という信念と同時に日本の伝統の技を大切にしたオリジナリティのある酒造りをして、世界に誇れる蔵になりたいという気持ちがあることがわかりました。
以上で2蔵の講演の紹介を終わります。
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