
元々若の井酒造と親しかったのは日本酒好きなサラリーマンのZENさんで、たまたま長野県で行われた日本酒の会で山形県の若の井酒造を知り、この酒がすごく気に入って若の井のお酒を広くPRすることを思いついたそうです。若の井酒造のお酒は色々な食事に合わせられるので、その特徴を生かして大塚の木の字のお料理と合わせる会を初めて開催したのが7年前のことだそうです。ですから当時はまだ大沼さんが杜氏になっていない時で、若の井酒造の前杜氏がお酒を造っていた時代と思われます。
1.大吟醸 雪女神 29BY
1.大吟醸 雪女神 29BY
5月半ばのことですが、千葉県の勝浦にある東灘醸造の蔵見学して来ました。東灘醸造のお酒をはっきり知ったのは2014年の秋に大塚の木の字で行われた東灘のお酒を楽しむ会に参加してからです。その会には社長の君塚敦さんと杜氏の中島行一さんが参加されていて、お酒造りの色々なお話を聞くことが出来ましたので、ブログにまとめてあります。興味のある方は下記のURLをクリックしてください。
http://syukoukai.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-d79b.html
この記事の中で蔵の杜氏のことで、ちょっと間違っているところがありますので、訂正しておきます。それは前々杜氏の辻村勝俊さんを辻村勝利と書いてしまったり、辻村さんが田酒の杜氏だったような書きぶりでしたが、正確には東灘をやめて田酒の杜氏になって、今では千両男山の杜氏をされているようです。東灘醸造が田酒の杜氏を育てたことになりますから、それは凄いことですよね。
今回東灘酒造を訪ねたかというと、たまたま御宿の宿で大学時代の友人がゴルフをするために集まることになったので、僕は勝浦の東灘を訪問してから、その蔵のお酒を買って同期の会に押しかけようと思ったからです。
東灘醸造は勝浦駅から国道に沿って南で20分ほど歩いたところにありました。その日は天気が良かったので、歩いていきましたがなかなか見つかりません。下の写真のような海辺を歩いていくとこの写真の奥に見える高速道路の奥にあるの丘のふもとにあるようでした。
高速度道路の下をくぐり抜けた道に入ると遠くに東灘醸造の看板を見つけました。
この看板の所を右に折れるといよいよ入り口ですが、写真に見える線路はJR外房線で、この通路を通らないと蔵には行けません。この通路がこの蔵の改築を色々と邪魔していることを後でお聞きました。
いよいよ蔵の入り口です。奥はとても広そうな蔵のようです。
下の写真が蔵の全景ですが、醸造している蔵は手前の白い建屋の奥の薄茶色い2階だての建屋の奥にあるので、ここからはよく見えません。薄茶色い建物は前社長が蔵の導線を改善するために作った鉄骨プレハブ造りのようで、奥の蔵は土壁造りの大正時代の建屋で、それが一体化しているのが特徴です。
蔵の案内は社長の君塚敦さんにしていただきました。君塚さんは明治大学微生物化学卒業ですから、純粋の技術屋さんですか酒造りは蔵に戻ってから学んだそうです。現在の生産量は200石ぐらいで6割が首都圏向けの鳴海(なるか)で、地元向けの東灘は4割だそうです。ですから造りは君塚社長と中島杜氏と若手の臨時蔵人の女性の3人と地元のお年寄りのアルバイトだけだそうです。石高は少ないけど少しづつ名前は知られるようになってきましたねと笑っていました
水場の説明をしている社長をパチリ。中々素敵な社長でしょう!
<蔵の内部の紹介>
蔵の仕込み水は湧水をろ過して使っているそうで、写真のように中硬水が湧き出ています。この地帯は昔は海底だったのが隆起したので、軟水にはならないそうです。
この蔵の特徴は洗米、蒸しなどの水回りが2階にあることです。ですから洗米して蒸したお米は乾燥してすぐに麹室や酒母室や仕込み室に持っていくことが出来るので造りのための導線を良く考えて造られていました。これを考えたのは先代の社長だそうで、当時としては画期的な考えではなかったかなと思います。
この場所か洗米・浸漬をするところです。結構広いです。
ここが甑のあるフロアで水場の隣にあります。この装置が甑を載せる蒸気発生器で、周りには作業ための手造りの器具がついていました。
蒸し米はすぐの放冷機にかけられ冷却されます。この放冷機にはいろいろな工夫がされていました。後で紹介します。
このフロアには3年前にに張り替えた麹室が置かれていました。ちょど室の消毒(ホルマリン蒸気)が終わったところなので中には入れませんでしたが、1室しかないので、隣にもう1室造りたいといわれていました。2室無いと麹造りが難しいのは知っていましたが、1室しかない蔵も多いのは事実です。でも場所的には十分可能なようです。音調は温調線を使っているそうで、張替の時に麹室用の温調線メーカーを探したけどなくて、温室用のメーカーのものを使ったそうですが、全く問題なく動いたそうです。
この蔵は大正時代の造りで今では何に使っているのかわからない滑車のようなものが残っていました。屋根には断熱用の土が厚く盛られているので、地震が来たら怖いと心配されていました。
酒母室も同じフロアにありますが、ここは温度を下げるための冷風機がついていますが、ビニールを壁とした簡単な手作りの部屋になっていました。この時期は物置として使っているようです。
酒母室の右上には何か不思議なものが見えますね、。もっと近づいてみましょう。
酒母室の前面の上の方に冷風機があるようで、その冷風を放冷機と酒母室の両方で使えるようにするための切り替え装置のようです。普段は酒母室で使っていて、放冷機の冷却が効率が悪くなった時に切り替えて使うようです。
その下の床はどうなっているのでしょうか。実はこの床の下の1階が仕込み室になっています。よく見てみましょう。床に四角い枠が見えますね。ここの床を開ければ仕込みタンクに原料(酒母や蒸米)を簡単に落とし込むことが出来るそうです。確かにこういう造りをしている蔵はありますが、古い昔ながらの蔵で、水回りも2階に持ってきている蔵を見たのは初めてです。これはいいアイデアです、。
では1階の仕込み室に行ってみましょう。手前が仕込みタンクで奥に貯蔵タンクがあり、ここにも冷却FAN が取り付けられていました。
6000Lクラスの解放タンクが7基と小ぶりの密閉タンクが2基見えますが、この蔵の生産量から考えると6000Lのタンクは大きすぎるので、最近一番外側の2本を小型タンクに切り替えたそうです。でも、それは大変な作業だったそうです。それは線路の通路が狭すぎて大型タンクは運び出せないので現場で切り刻んで出したからだそうです。そうしてできたタンクが下の写真です。大きさは2000Lで、600㎏仕込みタンクとして使っているそうです。だいぶ大きさが違いますね。
隣のタンクも切り刻んで出したらとお聞きしたら、足場の撤去など大工事になるのでなかなか難しいとのことでした。
貯蔵タンクは現在ほとんど瓶貯蔵なのであまり使っていなくて、醸造用アルコールタンクとか仕込み水のタンクとして使っているようです。作業用の床はなく昔からの足場造りでした。
昔からの大型の貯蔵タンクの部屋もありましたが、ほとんど使っておらず、ここを貯蔵用の冷蔵庫にしたいと言われていました。確かにそうですね。でも資金が必要ですね。
搾りは槽搾り機もありましたが、ちょっと古いタイプで今は全く使っていないそうです。
搾りはこの薮田でおこなっているそうで、鳴海の直汲みもこの薮田に瓶詰め器を直結してやっているそうです。
鳴海はほとんど生で出しているそうですが、火入れするお酒は中央のレイメイ回転式充填機で瓶に詰めたのちに、奥にある円形の湯煎機で加温した後、一番手前の箱型のシャワー装置を通して冷却するそうです。なかなかコンパクトで良いですね。でもちょっと手がかかりそうですが。
以上で蔵の様子の説明は終わりますが、全体を通してみると、新しい設備が導入されているわけではなく、古い蔵をうまく利用しながら少しずつ改善して使っていることがよくわかりました。もうちょっと改善していけば、このままでも500石の生産は十分可能なことが判りました。
<試飲したお酒の紹介>
試飲室に入ると過去に表彰された賞状がずらりと縄んでいました。こんなに立派な過去と持った蔵なのだということを初めて知りました。
この写真委は写っていませんが、今年全国新酒鑑評会で見事金賞を取っています。最近は大吟醸を造ることは少なく、3年ぶりに作って出したら金賞になったそうです。それだけ、中島杜氏の腕が上がったたということでしょう。中島杜氏は最近結婚されて、近くに住んでいるとのことでした。これも腕を上げた理由なのかもしれません。
この蔵は生産量が200石足らずですが、造っている銘柄は下の写真のようにとても多いのです。写真で見る限り25~26種類ありそうですが、これでも全部ではないそうです。
左から示しますが、日本酒度の表示は瓶の裏ラベルにはかいてありますが、写真を取っていませんので、少し怪しい数字です。また、この蔵のお酒は同じ銘柄でも年によって酒質は少し変わるようです。
1.鳴海 特別純米 ふさこがね60%精米
日本酒度+2.0、、酸度2.0、ALC17%、酵母18号と9号のブレンド
2.鳴海 特別純米 五百万石60%精米
日本酒度+2、酸度2.0、ALC17%
3.鳴海 純米吟醸 雄町55%精米
日本酒度-4、酸度1.7、ALC15%、酵母M310
4.鳴海 純米吟醸 雄町薄にごり55%精米
このお酒は3番のお酒の荒走りと責めをブレンドしたものです。
5.鳴海 純米吟醸 山田錦50%精米
日本酒度+4、酸度1.6、ALC16%
6.東灘 アクチバ 五百万石60%精米
日本酒度非公開、酸度非公開、ALC16~17%、酵母9号
このお酒は東灘と福祝と木戸泉が同じ畑のお米を共同で田植えをして造った五百万石を使って造った特別純米酒で、各蔵の酒の違いを楽しもうという「千葉県日本酒活性化プロジェクト」の一環としてできたお酒です。
7.鳴海の風 五百万石60%精米 夏酒
日本酒度+5、酸度1.9、ALC17% 酵母は18号と9号のブレンド
このお酒は2番のお酒と同じような酒質ですが、夏酒を狙って、日本酒度を+5にしてよりドライにしているようです。しっかりした味わいだけどドライな面白い夏酒でした。
8.鳴海 VIRGINITY 白麹造り
日本酒度-8、酸度3.9、ALC15度で、要は甘酸っぱいお酒でした。
一つ一つのお酒の印象は述べませんが、鳴海の特徴はほとんど生酒の原酒で、日本酒度はややプラスの酒が多いけど、しっかり米の旨みを出しながら、酸で切っていくと同時に炭酸ガスを残していますので、シュワシュワ感を楽しめるお酒でした。
ただ雄町だけは甘めに作っていますが、酸できちっと切ってくれるのであまり甘くは感じません。でも雄町らしい余韻を感じるバランスにしてもらいたかった気がします。
以上で試飲した結果を終わりますが、最後に面白いお話を聞きました。鳴海の酒は直汲みの生原酒を基本としているとのことですが、アルコール度数の違うお酒がある理由をお聞きすると、直汲みなので搾る段階でアルコール度数を決めておかなくてはいけないので、醪の段階で水を加えるそうですが、それは原酒と言って良いそうです。確かにに醪の発酵を整えるために水を入れることを追水と言いますが、この場合も原酒と言って慰安すね。それと同じですよね。加水という作業は絞ったお酒に水を入れてアルコール濃度を下げる場合にいうようです。絞ったお酒に1%以内の加水の場合は原酒と言えるそうです。日本酒の定義は難しい。
←ご覧になったら、この日本酒マークをクリックしていただくとブログ村のページに戻ります。これでポイントが増えます。携帯やスマートフォーンでご覧の方はMobileModeではクリックしてもポイントは増えませんので、PC-Modeにしてからクリックしてください。よろしくお願いします。
東灘酒造を訪問した翌日千葉県の久留里町にある藤平酒造(福祝)を訪問しました。久留里町は君津市にあるのですが、実際の場所は房総半島のほぼ中央にあります。僕は勝浦から行ったので、安房鴨川までJRでいき、その後は鴨川発東京行きの高速バスで久留里に向かいました。
久留里町は久留里城のある城下町ですが、どうしてこんな山奥に城が立ったのか興味がありましたので、調べてみました。最初は1456年に武田信長が上総国の守護代に任じられて、その翌年この地に久留里城を築城したようです。僕の勝手な考えでは久留里は房総半島の重心にあたる所で、且つ水が豊富でお米がとれたから選らんだのではないかと思います。
その後は戦国時代に武田に代わって里見氏がここを抑えて、改めで現在の地に久留里城を築城したと言われています。江戸時代になると久留里藩の藩庁として色々な大名がここを治めますが、最後は黒田氏が明治維新まで居城したそうです。ただ、現在の城は昭和54年に浜松城をモデルとした模擬天守閣で、実際のものとはだいぶ違うようです。いずれにしても大きな城ではなかったようです。
インたーネットから拾った写真を載せておきますが、可愛いお城といった感じです。
江戸時代までは城下町として栄えたことは事実で、この地には酒蔵が多くあり、現在でも下記の5つの蔵が現存します。
1.吉崎酒造 吉寿 2.藤平酒造 福祝 3.須藤本家 天の原
4.森酒造店 飛鶴 5.宮崎酒造店 峯の精
この地は平成の名水100選に選ばれるほど名水の地と言われ、奇麗な湧水が豊富に出る地だったことから酒造りが盛んだったのでしょうね。その証拠に久留里線の久留里駅の前には誰でも飲めたり汲んだりできる湧水が出ていました。
<藤平酒造の歴史>
創業は1716年ですから江戸時代中期ということになります。蔵はJR久留里駅から少し南に下ったところにありますが、もともとの蔵はこの場所からもっと下がった小櫃川の川沿いにあったようで、藤平本家が酒や醤油の製造販売をしていました。でも江戸時代の半ばに川が氾濫し蔵がつぶれてしまい、山林業の商いに徹することにしたようです。
藤平分家はもう少し高台にあったので、氾濫の影響がなかったことから分家が酒業を注ぐことになったのが1716年ということのようです。ですから創業者の名前は藤平久左衛門になるようです。
その後この蔵がどのように発展したかは、良くわかりませんが、かっての屋号が藤崎屋ということから藤久盛(とうきゅうさかり)という酒を造っていましたが、先代の社長が昭和55年に現在の「福祝」というお酒を出すことにしたようです。蔵しいことはわかりませんが、先代の社長はその後すぐに亡くなられて、奥様の藤平恵子さんが社長となり現在に至っています。
先代が若くして亡くなられたので、藤平家には3兄弟がいましたがまだ小さいので、外部から来た杜氏に造りを任せていたようです。最初は越後杜氏が来ていましたが、後半は南部杜氏が来ていました。その南部杜氏に次男と3男の2人が酒造りを学び、2000年(昭和12年)より二人の酒造りが始まります。最初の造り(12BY)から全国新酒鑑評会の金賞を取っただけでなくその後3年連奥で金賞を取り、一躍有名になります。2003年に南部杜氏が無くなったらしいので、その当時のお酒は南部杜氏の指導があった酒と思われます。
現在は母親の藤平恵子さんが社長で、長男の藤平和也さんが経営、次男の藤平典久さんが製造全体、3男の藤平淳三さんが営業と製造を担当しているようです。僕が福祝を始めて認識したのは、ちょうど10年前に全国新酒鑑評会で金賞を2年連続取った時からです。僕もお酒を勉強した間もない頃でしたので、千葉県の片田舎でこんなに奇麗で華やかな酒を造っているのに感心した覚えがあります。たぶん南部杜氏の方が無くなって本格的に二人が造った酒として世に認められた時のことだと思います。
でも2年連続で金賞を取った後は今年まで1回も金賞を取っていませんので、そのあたりのこともお聞きしながら蔵見学をさせていただくことにいたしました。
<藤平酒造の蔵見学>
ここが蔵の入り口です。昔ながらの古い造りの蔵です。
門から中に入ると大きな煙突が見えますが、その左の奥が蔵になっています。
これから造りの順に紹介していきますが、まずは仕込み水です。この地区は水が豊富で自噴しているところが多いのですが。よりきれいな水を求めてこの蔵ではやく600mの井戸から水を取っているそうです。この水を2段のフィルターをかけて、さらに最後に中空糸フィルターでろ過してから仕込み水として使っているそうで、中硬水なので発酵力が強いそうです。
ここが水場です。奥に和釜と放冷機が見えますね。
洗米はウイルソンの洗米機を使っていて、本醸造と普通酒は連続式のものを使っているそうです。
純米酒以上の特定名称酒は単式のウイルソン洗米機を使っているそうですが、以前使っていた青島式よりずっと洗浄時間が短くなったそうです。
蒸し器は和釜を使っていました。和釜を使っているとっころは結構多いですね。
次は麹室ですが、ここは淳三さんの担当だそうです。丁度消毒前の拭き掃除をしているところでした。それなりの広さの麹室ですが、1室しかないので、2室にしたいとのことでした。麹室は杉の木を使っているところが多いけど、ここは合板造りで加熱も温調線でした。床は3年前に張替えたばかりだそうです。今度改造したら温調線をやめてパネルヒーターにするつもりだそうです。生産量を増やすにはぜひとも2室欲しいでしょうね。
床やはこのほかに仕舞仕事の後の麹の温度管理は自動で温度調整ができる移動式の製麹装置の「吟の箱」を使っているそうです。下の写真のような発泡ポリエチレン製の装置で、温度も下げることもできるので、出麹の後の出麹乾燥にも使える便利なものだそうです。
次は酒母室ですが、現在は物置として使われていました。部屋の降り口には酛室と書かれています。
この蔵の特徴は仕込み蔵にあるのですが、まず、本醸造、普通酒の仕込み蔵を見てください。ごく普通に4000ヵら5000Ⅼの仕込みタンクが並んでいました。
出品用の大吟醸は専用の仕込み室が用意されていました。仕込み量は600~700㎏仕込みだそうです。純米大吟醸は通常の仕込みでやっているそうです。
驚いたのは純米・吟醸の仕込みは出荷用の瓶を約300石分保管できる冷蔵庫の内部で行っていることです。確かに冬場は瓶貯蔵の量も少ないので、冷蔵庫内があいてるとの思われますので、その部分で仕込みをすることは出来そうですね。ですから仕込み用のタンクは別の部屋の置いてあって、それをフォークリフトで冷蔵庫内に運び入れて、仕込みをするそうです。低温で仕込みができるので、安定した造りができるとは思いますが、タンクを移動したり、保管量など色々なやりくりをするのが大変だと思います。あまり聞いたことがないやり方ですね。
ここが仕込みのための異動タンク(600~900kg仕込み)や仕込み用のはしごなど色々なものを置く部屋として使っているそうです。
これがその冷蔵庫です。この時は出荷用の生酒以外のすべてのお酒が保管されていたので、満杯状態でした。現在の仕込み量は2本弱/1週間だそうで、生産高は320石位だそうです。
搾りは昔は槽も使っていましたが、今ではほとんど薮田で搾っているそうです。
昔は蛇管で加温したいたそうですが、現在はすべて火入れは瓶燗火入れで開いたら位の中に瓶を並べて加温した後冷水で急冷してるようです。この蔵は生酒より火入れの方が多いのですが、生酒は瓶に詰めた後氷温冷蔵庫で保管するそうです。その冷蔵庫がありました。
最後に面白いものを見つけました。この古ぼけた装置は何だと思いますか。こんな形をしていますが現役で動いているそうです。
瓶の洗浄機だそうです。なにーこれ!といった感じですね。以上で蔵の中の紹介は終わります。
<現状の酒造りについて>
この後淳三さんとおしゃべりをしたことから造りについて感じたことを纏めてみたいと思います。淳三さんの写真をtp里忘れましたので、彼のFACEBOOKからお借りします。
現在造りはご兄弟二人と2人の従業員の4人で造っているとのことでした。
この蔵の原料米は山田錦、雄町でしたが、最近は栃木の飯沼銘醸さんの紹介で、北海道産のきたしずく、彗星を使っています。この2つにお米は固めで溶けにくいけど、仕込み水が中硬水なので相性が良く、奇麗な味わいのあるお酒になるそうです。だとすると雄町は難しいと思うけど、チェレンジなのでしょうね。
酵母はむかしは9号酵母をメインにしていましたが、佐賀の小松酒造の紹介で、熊本酵母に切り替えたそうです。熊本酵母の方が香りが出るうえに味わい深いそうです。 最近は1501酵母も使っていて、大吟醸は1801酵母をやめてM310を使っているそうです。
最近全国新酒鑑評会で金賞を取っていないのはどうしてですかとお聞きしたら、昔は何としても金賞を取りたいと気合をいれてきましたが、金賞を取っても売り上げが伸びないので、金賞を取るよりは市販酒の質を上げて、よりよいお酒を造ることに力を入れるようにしたので、金賞は取れれば儲けものという感じだそうです。でも決して手を抜いているわけではないそうです。ですから市販酒の火入れの酒は全量瓶燗火入れにしたし、冷蔵庫の拡大を図って酒質を上げてきたそうです。
今後どんなことをしていきたいかをお聞きしたら、麹室の増設と改築、冷蔵庫の増設をしたいそうです。確かにそれをしないと、生産量の増加は難しいでしょうね。この日は水曜日お店がお休みでしたので、死因はできませんでしたが、大吟醸山田錦40をお土産にもらいました。
この写真のお酒は山田錦40%精米の大吟醸でしたが、インターネットでいろいろ探しても見つからなかったので僕の勝手な予測ですが、出品酒とは書いていないので出品酒の責めの部分のお酒ではないかと思います。飲んでみると結構辛口に仕上がっていて、後味は奇麗に消える福祝らしいお酒でしたが、ちょっとふくらみが足りないようにおもえました。
これからも飲む人を驚かすようなお酒を造っていただきたいと思います。淳三さんお忙しいところ、ご案内いただきましてありがとうございました。
←ご覧になったら、この日本酒マークをクリックしていただくとブログ村のページに戻ります。これでポイントが増えます。携帯やスマートフォーンでご覧の方はMobileModeではクリックしてもポイントは増えませんので、PC-Modeにしてからクリックしてください。よろしくお願いします。