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屋守・豊島屋酒造の田中さんは楽しい方です

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2月の連休の前に豊島屋酒造の田中孝治部長を訪問しました。今回は今年初めての蔵見学として選んだのが、屋守の豊島屋酒造です。田中部長とは色々なところでお会いしているのですが、4年前の雄町サミットでお会いしたのを思い出します。初めて雄町にチャレンジして意気揚々と雄町サミットに出したら、見事落選。でもどう作ればよいかがわかったので、来年以降に期待してくださいと言われたのが印象的でしたが、その後の話は聞いていませんでした。そこで田中さんと仲の良い升新商店の山崎んに頼んで、蔵見学をお願いして快く受けていただきました。 

豊島屋酒造には2009年の飲み切り一般公開日に訪れたのが初めてですが、蔵を外側から眺めただけで、とても蔵見学といえるものではありませんでしたが、関心のある方は下記のブログを見てください。 
http://syukoukai.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-6ae1.html 

当日は天気も良く、東村山市から歩いて蔵に向かいましたが、最後に道に迷ってしまいました。蔵の近くのガストのある久米川辻を右に曲がったのは良かったのですが、そこから一筋道を間違えたので、あの大きなケヤキの木が見つからなかったのでおかしいと思い、電話をしてやっと辿り着きました。 

最初に豊島屋酒造がどんな蔵なのかを紹介します。 

<豊島屋酒造の歴史> 

豊島屋酒造がこの地に出来たのは昭和12年のことで新しいのですが、そのもととなる屋号は江戸時代に神田の鎌倉海岸で豊島屋十右衛門が居酒屋を始めたのが始まりだそうです。十右衛門さんは商売上手で次々とヒット商品を開発したそうで、江戸でたちまち有名な居酒屋となったそうです。 

そのアイデアとは酒を売った後に余る空樽の再利用販売、お祝い事で行う鏡開き桃の節句に合わせた白酒などがあるそうで、そのお陰か、明治神宮、神田明神、日枝神社の御神酒として使用されるようになったそうです。このお店が豊島屋本店として今でも千代田区の猿楽町に所在していて、金婚正宗の総販売元として今でも存在しています。 

さて東村山にある豊島屋酒造はいつできたのでしょうか。明治時代に豊島屋本店が扱う酒蔵として、灘に他社との協同で自前の蔵を持ち「金婚」を製造したそうですが、地理的に遠いことから東村山市にあった川島酒造の後地に、昭和12年に豊島屋酒造を設立したそうです。 

豊島屋酒造は金婚正宗を中心に、神社仏閣に収めるお酒つくりや味りんつくりや大手蔵の桶売りなど色々な酒造りをして、一時3000石の生産量を誇ったそうですが、平成に入って普通酒の販売が減少したため、徐々に生産高は減少しあっという間に2000石を割ったそうです。 

<屋守誕生の秘密> 

田中孝治さんは豊島屋酒造の跡取りでしたが、若いことは後を継ぐ気持ちはなく、スーパーの生鮮担当の仕事をしていたそうです。そんなさなかに祖父が入院騒ぎになたのをきっかけに、27歳の時に蔵に戻る決心をしたそうです。 

でもそれまで酒つくりは一切していなかったので、父からの勧めで広島県の西条市にある酒類総合研究所で3カ月住み込みの清酒セミナーを受講したそうです。その時の受講生には天狗舞の細車多一成さんとか永山本家の永山貴博さんや白岳仙の安本岳さんや国権の井信さんなどそうそうたる有名な方ばかりだったそうです。特に同室になったのは宮城県の日高見の平井孝宏さんだったそうで、平井さんには色々なことを教わったそうです。

セミナーの修行の後、吉祥寺で飲んだ地酒の「醸し人九平次」の味に感激し、東京発の地酒があってもいいのではと思って、自分の蔵のお酒を比較して飲んだらこれはだめだ、新しい酒を造らなければと日高見の平井社長に相談したそうす。そしたら、石巻に酒つくりの勉強に来いと言われて、春から夏まで勉強したそうです。その時、造るだけではなく酒屋に自分を売り込むこともしなければだめだと、発破をかけられたそうです。 

そこで、蔵から比較的近い大手の酒屋の小山商店の小山喜さんのところに飛び込んだそうです。この秋からお酒造りをして東京から全国に売り出す地酒を造るので、上手く出来たら売ってくださいと売り込んだそうです。そしたら、できた酒を持ってくるのが普通なのに、酒も持たずに売り込みに来るとは面白いやつだと協力していただけることになったそうです。 

この冬からは造りの間、1カ月に4-5回も喜八さんから電話が入り、造りの状況を聞いてきたそうです。やっとできたのを持って行って喜八さんに飲んでもらったら、一言、「まだ粗削りだなー、でもこれから磨けば光るものもある」ということで、売ってやるとから3月に納品したのが最初のお酒だそうです。現在の屋守の中心となっている八反錦55%磨きのスペッくとおなじものだそうです。 

ところで、銘柄は決まっているのかと言われて、まだ決めていないけど「金婚」ではだめですかと聞いたら、とんでもない、新しい名前を考えろと言われて、これからの豊島屋を守るという意味で「屋守」としたのですが、「やもり」では箔がないので「おくのかみ」としたそうです。最初は皆から「やもり」と言われたけど、今ではやっと「おくのかみ」と言われるようになったとのことで、今は14年目を迎えていることになります。 

<屋守のお酒について> 

総米600kgから1トンの造りで7基しかない少量造りで、お米は八反錦と雄町だけです。しかも精米度は50%の純米吟醸と55%の純米酒しかありません。酵母は協会1601号で昔は香り高い酵母でしたが、今では香りはあまり高くない酵母になってきているそうです。屋守を造り始めてずっとこれを使い続けているそうです。お酒としては生酒と火入れが基本で、製品としてはあらばしり、中どり、責めとか冷おろしはありますが、非常に単純な造りで、できるだけ手を掛けない造をしているそうです。具体的にはもろみは薮田で搾って、そのまま計量タンクに空気に触れないように送って、そのまますぐ瓶詰めしてー5℃の冷蔵庫に貯蔵すそうで、火入れするお酒はそのまま瓶燗火入れするので、貯蔵タンクを必要としないそうです。なるほど、とてもシンプルですね。これなら造ったそのままのお酒を出荷できそうですね。 

雄町は今年で4造り目ですが、1年目は雄町サミットで落選し、2年目は温度計が櫂に当たって壊れておじゃんになってしまい、去年は出来上がっても堅くて渋くて飲めないので、造った3タンクの一タンク分は生のまま出荷したけど、残りの2タンク分は火入れして瓶づめのまま保管しているとのことでした。見学の終わりにちょっと飲ましてもらったら、やっと味に広がりが出てきているので、今年に販売されるのではないかと思っています。 

どうして山田錦をやらないのかと聞いたら、10年たって八反錦の造りが安定したので、初めて雄町をしたけど、まだまだ安定した酒造りができていないので、しばらくはこの2つの米で勝負をするそうです。安定した造りができるまでは浮気をしないで、しっかり地道に酒造りに取り組むそうで、これなら安心して飲めるお酒ができそうな気がします。 

未だ大きな心配があるそうです。13年たってやっと屋守も300石の生産量になったけど、薮田の場所が空調がかかっていないところにあるので、10月から4月までに7基で4回転強しかできないので、早く薮田を空調できる部屋にするよう改善するそうです。 

<造りの体制> 

現在の従業員は11人で、造りはアルバイトを含めて5人で、生産高は約1000石です。屋守が300石、金婚正宗が450石、残りが250石だそうで、水曜と土日を踊りに充てて休みが取れるように回しているそうです。杜氏は別におられるそうですが、屋守は杜氏の意見はいただくけど、ほとんど自分が判断して造りをしているそうです。従業員に中には国立岩手大学の博士課程出身の人もいるようで、中々面白いですね。 

それではいよいよ蔵見学の様子をお見せします。 

<仕込み水> 

このあたりは地下水の豊富なところで、現在は地下150mの井戸を掘って水をくみ上げています。硬度は56度もある硬水です。この蔵のシンボルの大きな欅は樹齢500年と言われていますが、これはこの地に豊かな水脈がある証拠だそうです。なるほどね… 

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井戸は1本では足りないので、裏にもう1本掘ったそうです。その写真が次の写真です。 

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この井戸の水はそのまま仕込み水としては使っておらず、逆浸透膜濾過機を通した水を使っているそうです。その水は硬度が2度しかなく超軟水だそうです。そうか、最初からそう言った方がいいよね。 

<洗米・浸漬> 

普通酒の洗米は大型の連続洗米機を使っていましたが、屋守や金婚の純米酒以上はWOODSONの3点セットを使っていました。これは良いそうですね。でも屋外での作業でしたのは驚きましたね。 

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<甑・放冷器 

この蔵の蒸器は写真のような連続蒸蒸器を使っています。 

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でも隣には和釜がありました。僕は専門家ではないけど、大変だろうけど屋守だけは和釜を使ってもらいたいな。和釜の方がドライな蒸しあがりになると聞いているので。 

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蔵の案内は田中部長にしていただきました。 

<麹室> 

さすがにシーズン中なので室の中には入りませんでしたが、竹で組んだ床が並んでしました。これはちょっと珍しいのでは? 

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<酒母室> 

普通の酒母室で総米7%くらい作っているそうです。麹菌は黒番もやを使っているそうですが、使いやすいそうです。 

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<特別仕込み室> 

冷蔵庫のような扉があり、入口に炭酸ガス発生中、窒息注意と書いてありますが、この中で600kg~750kgの仕込みタンクが6基入っています。金婚正宗の大吟醸や屋守の仕込み用だそうです。 

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 空調が必要なのはわかるけど、部屋にぎっしりと開放タンクが置かれているので、炭酸ガス窒息にならないかどうか心配です。炭酸ガス警報器を置くべきだと思います。事故が起こってからでは遅いですから。 

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<大型仕込みタンク> 

ここは普通酒用仕込みタンクで、QPマヨネーズからの純米酢用の発酵タンクもありました。 

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中央に見える小型サイクロンはエアーシューターで送られた蒸米をタンク内に落とすものです。この蔵は普通酒用で手を掛けなようないろいろな工夫をしているようです。この仕込み蔵の奥にもこっそり屋守用の小型タンクがありました。下の写真です。 

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 この蔵の屋根の構造はちょっと面白いです。木造でなおかつ強度を持たせる三角構造をしています。中々凄いでしょう。 

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<薮田圧搾器> 

この薮田は最近山梨銘醸で余っていた薮田を購入したものだそうです。確かにちょっと新しそうですね。 

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この薮田を導入した時にフィルターも全部新品にしたけど、最近フィルターを変えると袋臭が取れずに悩んでいる蔵が多いと聞き、良い対策はないかと宮城県の産業技術研究所の先生におききしたら、宮城県ではほとんどの蔵が使っている特殊な薬品があるから洗浄に使ってみたらと、言われて使用したら、全く匂いが出なくてうまくいったそうです。これも田中さんのネットワークの力だと思います。 

<タンク貯蔵室> 

普通酒以外には使っていないど、大型のタンクが並んでいました。場所的にはちょっともったいない気がしますね。 

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<瓶貯蔵庫>

火入れ用の3℃の貯蔵庫と、生用のー5℃の貯蔵庫を持っているそうです。表示はー4度となっていました。
火入れは瓶燗火入れをしていますが、お湯の張り方で瓶の中の温度分布が違うので、試行錯誤をして最適なお湯の張り方を見つけたそうです。

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以上で蔵見学の様子の紹介を終わります。最後に田中さんの夢をちょっと語っていただきました。 

・ 東京の都心に近い蔵として、誰でも観光がてらに来れるような蔵にしたいそうです。特に2020年の東京オリンピックに向けて、事務所を改造して、一階をお酒の展示と試飲ができるようにしたいそうです。屋守はここでは販売できないけどPRはしていきたいそうです。 

 ホームページでちゃんと屋守のお酒のPRができていないので、ホームページの全面改定をしたいそうです。 

・ 蒸器と洗浄ができる部屋を改造して、作業のしやすい環境に変えたいそうです。その時は和釜の有効活用も考えてもらいたいな  

・ 薮田の搾り器を空調の出来る部屋に入れて、もっと長い期間、屋守を造れる環境にしたいそうです。 

まだまだいろいろやりたいことはあると思いますが、僕のお願いはあっと驚くような雄町と、洗練されているけど旨い山田錦を早く造ってもらいたい気がします。

Dsc_0126蔵見学が終わって、お土産に十右衛門の純米吟醸をいただきました。

このお酒は酵母を宮城酵母に変えて4年になるそうですが、この宮城酵母も洗浄薬品を紹介してくれた宮城産業技術研究所の先生からいただいたそうです。宮城酵母は原則他県には出さない酵母で、これを手に入れている他県の蔵はごく少数とのことでした。

いずれにしても田中さんは今までお付き合いのあった人のネットワークを上手く使っている方と思いました。これも田中さんの人柄からくる仁徳ではないかなと感じました。これからもがんばってください。

最後に駅まで車で送っていただきました。田中さんの写真を取り忘れたといったら、高笑いをしていただきました

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田中さんお忙しい中、ご案内していただきありがとうございました。

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